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県代表校からのコメント
小学校のホームページはこう変わる!

学校のことをもっと知ってもらう努力

飯島 これまで、小学校ホームページの魅力をいろいろお話しいただきましたけれども、最後に、今までのディスカッションを通して、これからの可能性ですね、少し未来へ目を向けて、こんなことができるんじゃないか、私たちはこうしてみたいという夢を語っていただきたいと思っています。
高畑 キーワードは「データベース」と「デジタル・アルバム」というように書きました。ホームページをいくつか見ていく中で、ほとんどのホームページが単年度単位のホームページとなっているんですね。今年であれば2004年度のホームページですよというかたちで、過去のホームページ、蓄積されたものが見えてこないというケースが非常に多いんです。せっかく作って残してあるものをなぜ隠すんだということもあります。さらに言えば、デジタル・アルバムとして、ひとりひとりの児童が入学から卒業までどういう学校生活を送って、作品を作って、どういう成果をあげて成長してきたかというのを蓄積していって、その子の人生における小学校のアルバムといったものができればいいと思いますね。
関根 私は「開放」と「親しみ」と書きました。ひとつには学校を開放するということです。学校内部の人間にとって、保護者の方や地域の方に知ってほしい学校の中のことや内部のことが、たくさんあるんですね。たとえば、夏休みに、うちの学校では先生たちがトイレ掃除をやっているんですね。普通の父兄は、そんなことは知らないと思うんです。そのような、ちょっとしたことから、学校を開放していけたらいいなということが一点。それから、「親しみ」の方なんですが、子どもたちとも保護者の方とも、電話や面と向かっての対話だと重要な話だけで終わってしまうことが多いです。でも、ホームページだったらもっと気楽にコミュニケーションが取れるのではないか、ということですね。たとえば、本校では、必要に応じて1日のうち何度か更新するということをやったりしました。修学旅行でいま宿にバスが着きましたとか、いま山登り出発しましたとか、1日の中で刻々と更新して修学旅行の様子を載せたことがあるんですけれども、そのときにはアクセスが多くて、みんなそういうことを欲しているんだなということも思いました。そういうところで、学校便りとはまた別に、すごく近い存在としてコミュニケーションのツールになるのではないかなと感じています。

「責任」ということの意味

飯島 後半の話は応答可能性が高まってくるということですね。この応答可能性を英語で言うとレスポンシビリティー、英語を日本語に訳すときは責任となりますが、責任の中身はこの応答可能性のことなんですね。小学校のコミュニケーションの中で、応答し合うという習慣ができますと、コミュニケーション能力であるとかプレゼンテーション能力が発達してくる。その下地は、1日の中で何度も応答してくというところから始まるのではないかなと思いますね。応答しようするところに責任が果たせる要因が出てくるのではないかなと。これはコミュニケーション能力の根幹に関わることで、日本の社会では応答し合うということをあまりしていなかったと思うんです。これまでの小学校のコミュニケーションの場面でも同様です。その子どもたちとの応答が高まるということは、大きな可能性があるのではないかなと、お話を聞いていて思いました。

地域の情報センターとしての学校ホームページ
松本 私は、「拠点」と書きました。昔の学校というのは、まだ情報機器が発達していなかったころは、地域の人々が集まる場所だったわけですよね。おらが学校ということで、その学校に行けば、いろんな情報が得られたり,施設備品が使えたりし,今とは違う文化やコミュニケーションがあったわけです。今は各家庭に情報機器は整って,身近に様々な施設もある。「わざわざ学校に行かなくても」というように地域と学校とが離れていくような感じもするんですね。もう一度、学校が地域の拠点になれればと考えています。ホームページが学校と地域を結ぶ役割を担えればいいかなと思いますね。さらに今はまだ、学校のホームページという感じですけれども、大森町のホームページ、印西市ではなくて、大森地区のホームページ、その中に学校のホームページがある。5年後、10年後はそうなっていたらいいなと思います。
飯島 拠点というのは、ホームページのホームというところで、まさしくホームページはそういうことを意味していると思います。欧米では、ホームということに対しての再解釈といいますか、ウェブの時代のホームとは一体何だろうか、という議論も活発になってきています。もちろん心のふるさと、拠り所という意味での拠点もありますし、私たちの健康を育む自然という拠点もあります。いろんな意味でのホームということも、これから考えて行きたいと思います。

子どもは人類の父親である

豊福 「ホームページを通じて小学校時代の親と出会う」というのが僕の夢です。たとえば、親が小学生の時に学校ホームページに残した作文を、30年後に自分の子どもと一緒に見ながら、あれこれ振り返られるようになったらいいと思うんですね。20年、30年といったスパンでホームページを残すことを前提に考えてほしいです。
もうひとつは、「同年代から学ぶ」「同年代のために残す」というキーワードを書きました。先ほどの例だと、親が6年生の時に書いた作文を、30年後に小学校6年生の子どもが読んで学ぶということですけれど、一般的に年齢が近いほど、その人の考えたこと書いたことは親近感をもって受け入れられ易いので、大人が作った文章を一方的に与えられるよりずっと魅力的だと思うのです。ですから、それぞれの学年に応じて、自分が残したものがその後どのように役立てられるのか、もう少し分かりやすく、動機付けになりやすいストーリーにしてあげられればいいかなと。自分が作り出したものがきちんと残してもらえて、将来の後輩たちの学習に役立てられるんだと。そういった環境作りの中心にホームページが位置づけられるといいなと、僕は思っています。
藤永 私は「踏み台」です。昨年の表彰式で村井実行委員長がおっしゃった印象的な言葉が「踏み台」です。「インターネットは踏み台である、そしてその上に乗れば今まで手が届かなかったものに手が届くかもしれない、その『踏み台』の上で、何ができるか、未来を担っているみんなで考えましょう」という風におっしゃっていました。将来、小学校のホームページがどういう風になっているのか? 我々が思いもよらない方向に発展していって、毎年「驚きのあるホームページ」と出会えるといいな、と運営する側として思っています。 もうひとつは、「日本のどこかで」。J-KIDS大賞は小学校ホームページを「全部見ます」というコンセプトで運営しています。そして「日本のどこかで頑張っている小学校を発掘し光を当てる」ことを大きな目的としています。逆に言えば、小学校の皆さんが頑張って作っているホームページは、「日本のどこかで」見ている人が必ずいます。ホームページ作り大変でしょうけど、子どもたちと地域の皆さんと共に作って育てていただきたいと思っています。皆さんの「驚きのあるホームページ」作り、これからも楽しみにしております。

情報発信=情報受信

上田 僕は、可能性ということでいうとふたつあって、ひとつは「情報発信=情報受信」という言葉なんです。ホームページというのは、どうしても情報発信の場ということでとらえられがちなんですけれども、実は情報を発信すると同時に、受信する場なんですね。具体的な事例でいうと、小学校ではないですけれども、広島の中学生が英語で原爆についてのホームページを作ったら、アメリカからいろんな中学生から問い合わせがあって、そこから交流が始まったんですね。ホームページに自分たちの地域のことを情報として発信することによって、今度はアメリカで原爆についてどのようなことを考えているか、どんどん受信する場が作られた。受信していくということを意識していくと情報発信の意義がどんどん広がっていくように思えるんですね。
あるいは、鹿児島県に沖永良部島という島があります。その島にある唯一の高校、沖永良部高校がウミガメの生態のライブ中継をしています。もうすこししたら英語のホームページもできるのですが、そうすると世界中の人たちがここにやってくる。実は高校生たちは、沖永良部の自然のことはあまり知らないんですね。でも、自分たちがその映像を発信することによって、世界中の人たちから質問攻めにあうわけです。そうなると一生懸命調べ始める動きが起こるわけです。恥ずかしい答えはできないので、どんどん勉強したりというようなことが、現実に起きているというのが面白いと思うんです。
もうひとつは、「遊び心」という言葉ですけれども、どうしても評価基準とかの話になってくると、みんなが同じレベルを目指すようになってくる。いろんな可能性を拾えるような評価基準を作っていくこともとても大事なことだと思うのですが、評価基準を覆してしまうようなページ作りをしていただけたら面白いなと思いますね。「こんな手があったんだ、評価基準を変えなきゃいけないね」というような遊び心があるものが見たいですね。

スクールディレクションという感覚

飯島 さきほど、「踏み台」という言葉が出ましたが、たぶん飛躍、スプリングボードとして飛躍させるのは私たちの想像力だろうと思います。想像力を刺激すること、そのこと自体がホームページの主要な機能ではないかなと思っております。そして、想像力をどのように刺激するかということは、実は小学校の中だけでなく、多くの力をウェブは借りることができるんだということです。ウェブの時代の事例ではありませんですけれども、今となっては有名な富良野というところがあります。富良野のラベンダー畑の写真は前田信三さんという東京の写真家が撮ったんですね。地元の人があまり知らない魅力をひとつの写真家の目、もうちょっと突っ込んで言えば、美に対する目が発見した。ふらりと行った写真家が素敵な映像をギフトしてくれるかもしれないと思います。稀人(まれびと)だから、旅人だからこそ見えてくる世界があると思います。
学校では、他の学校から新しい校長先生がやってきて、その学校を客観的に見ることができる場合があります。僕は、そうした役割に特化したスクールディレクターというような職能が必要になってくるんじゃないかなという風に思っています。子どもたちの授業を受け持つだけではなくて、学校全体の企画であるとか、学校がどこへ行こうかということも含めて、その中でスクールディレクションを、あるときは中央に折衝に行ったり、ビジョンをホームページで訴えたりする。たまたま先ほど事例に出てきた、古川校長は先生自身がスクールディレクションということを行っているわけですけれども、全国の多くの小学校にはスクールディレクションといった感覚をもった人が必要なのではないかと思います。
今日のお話を私なりにまとめさせてもらうと、小学校ホームページは、メディアとしての可能性が多分にあるという風に思いました。それからホームページを作るというプロセスに多くの人が関わることによって、今までなかった新しい色合いが出てきて新しいつながりが出てくると思います。そのつながりの中で、コミュニティーとしてのホームページということですが、住人がいるわけですから、その人たちが日々活き活きと暮らしている姿をホームページ上に表わすことによって、コミュニティーのイメージが見えてくるのではないかと思います。また、松本先生からは拠点というキーワードを頂きました。私たちが生きていく場として、コミュニティーをもっと深めたり、自然環境と結びついた、自分が身を委ねて、生きていく、安全を確保して生きていく場としてのホーム作りということだろうと思います。
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主催: J-KIDS大賞実行委員会